明智光秀

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明智 光秀
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕

永正13年(1516年)

享禄元年(1528年)
死没 天正10年6月13日(1582年7月2日
改名 彦太郎(幼名)、光秀→惟任光秀
別名 通称:十兵衛
雅号:咲庵
あだ名:キンカ頭
戒名 鳳岳院殿輝雲道琇大禅定門
墓所 谷性寺(京都府亀岡市)
西教寺(滋賀県大津市)
高野山奥の院(和歌山県伊都郡高野町)
山県市中洞(岐阜県山県市)
官位 従五位下・日向守
主君
  • 斎藤道三→朝倉義景→足利義輝→足利義昭→織田信長
  • 足利義輝→足利義昭→織田信長
  • 土岐頼純→黒坂景久(朝倉義景家臣)→細川藤孝→足利義昭→織田信長
    他、諸説あり。
氏族 清和源氏土岐氏流明智氏(惟任賜姓)
父母 父:不詳
母:不詳。お牧の方とも(武田信豊娘、一説に進士信連娘)
養父:明智光安または明智頼明
兄弟光秀、信教[異説あり] 、進士貞連(作左衛門)[異説あり] 、康秀[異説あり]、定明
正室:煕子(妻木範煕女)
光慶、玉(細川忠興正室)、光泰ほか系譜を参照
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