蜂須賀正勝 | |
---|---|
時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
生誕 | 大永6年(1526年) |
死没 | 天正14年5月22日(1586年7月8日) |
改名 | 鶴松(幼名)、蜂須賀利政→正勝 |
別名 | 利政、通称:小六、小六郎、彦右衛門 |
戒名 | 福聚院殿良巌浄張大居士 |
墓所 | 万年山蜂須賀家墓所、興源寺(徳島県徳島市)、高野山奥の院・阿波徳島蜂須賀家墓所(和歌山県)、蓮華寺(愛知県あま市) 下記参照 |
官位 | 贈従三位修理大夫 |
主君 | 斎藤道三→織田信賢→織田信清→織田信長→豊臣秀吉 |
氏族 | 蜂須賀氏 |
父母 | 父:蜂須賀正利、母:某氏 |
兄弟 | 正勝、又十郎、正信(織田喜七郎室)、正元、女(梶浦雅範室) |
妻 | 正室:大匠院または三輪吉高の娘) 側室:白雲院(鳥井越中守の娘) |
子 | 奈良 |
特記 事項 | 『尾張群書系図部集』は、至鎮を次男とし、兄・家政の養子となったとする異説を載せている。 『武功夜話』によれば、前野長康とは義兄弟の契を結んだという。 |
蜂須賀正勝
この記事は約0分で読めます。