福島正則

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福島 正則
時代 安土桃山時代 - 江戸時代前期
生誕 永禄4年(1561年)
死没 寛永元年7月13日(1624年8月26日)
改名 市松(幼名)、正則、高斎(号)
別名 市兵衛、羽柴清須侍従
戒名 海福寺殿月翁正印大居士
墓所 長野県小布施町の梅洞山岩松院の正則廟
東京都港区三田の正覚院(供養塔)
京都市右京区の妙心寺海福院
和歌山県高野町の高野山悉地院
広島市東区の新日山不動院
愛知県あま市二ツ寺屋敷の菊泉院
長野県高山村高井寺(供養塔)
官位 従五位下、「左衛門大夫」(左衛門尉の誤りか、不詳)、侍従、左近衛権少将、従四位下、従三位、参議
幕府 江戸幕府
主君 豊臣秀吉→秀頼→徳川家康→秀忠
安芸広島藩主→信濃高井野藩主
氏族 福島氏
父母 父:福島正信、母:松雲院
兄弟 別所重宗室、別所吉治室、正則、高晴、長則、正守
正室:津田長義の娘・照雲院
継室:徳川家康の養女・昌泉院
正友、忠勝正利、水無瀬兼俊室、大野猪右衛門室
養子:正宣玄興院
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