松平 忠固 | |
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時代 | 江戸時代後期 |
生誕 | 文化9年7月11日(1812年8月17日) |
死没 | 安政6年9月14日(1859年10月9日) |
改名 | 玉助(幼名)、忠優(初名)、忠固 |
諡号 | 慎斎 |
戒名 | 大円院殿鏡誉勇進知道大居士 |
墓所 | 東京都府中市多磨町の多磨霊園→池上本門寺 長野県上田市の願行寺 |
官位 | 従五位下・左衛門佐、従四位下・侍従、伊賀守 |
幕府 | 江戸幕府 奏者番兼寺社奉行、大阪城代、老中 |
主君 | 徳川家斉、家慶、家定 |
藩 | 信濃上田藩主 |
氏族 | 酒井氏(雅楽頭家)、藤井松平家 |
父母 | 父∶酒井忠実、母∶西尾忠移娘隆姫 養父∶松平忠学、松平忠済娘光柏院 |
兄弟 | 采姫、忠固、西尾忠受、東姫、 酒井忠讜、三宅康直、酒井忠嗣正室、桃、九条尚忠室ら |
妻 | 正室∶松平忠学養女三千子 側室∶井上氏、前田氏、青木氏 |
子 | 忠礼、芳、忠厚、章子、土井忠直、忠隆、広閑院、最上義偆室 |
松平忠固
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